ジョン・レノン忌に〜40年前の居魔阿仁に飛び込んできた訃報〜
1980年12月9日は火曜日で,浪人生だったわれわれは共通一次試験を間近に控えているにもかかわらず,いつものように藤沢駅北口の喫茶店「居魔阿仁」に吹き溜まっていた。
湘南高校55回生540人の中でも指折りの怠け者だった当時の私は,もはや代々木ゼミナール大船校で授業を受けることすらなく,居魔阿仁で時間をつぶす日々を送っていた。
店名からもわかるように,店主はジョン・レノンの大ファンで,阿久津さんが「ジョン・レノンが死んだ」という口にしてから店の空気はどんよりと沈み始めた。
ジョン・レノンの命日は12月8日だけれど,日本人がジョン・レノンの訃報に接したのは12月9日のことで,それはまさに今日のことなのだ。
当時,われらが居魔阿仁のでっかいステレオセットは,1年前の1979年12月5日に発売された浜田省吾の『君が人生の時…』と,4年前の1976年12月8日に発売されたイーグルスの『ホテル・カリフォルニア』を交互に流し続けるのが基本だったのだが,このころはそれに『ダブル・ファンタジー』が加わっていた。
阿久津さんが「ジョン・レノンが死んだ」という悪いニュースを知らせた後は、浜田省吾もイーグルスも出る幕がなくなった。
ひたすら『ダブル・ファンタジー』が流れた1980年12月の居魔阿仁。
特にA面1曲めの「Starting Over」は,この曲だけは特別だという感じで,何度も何度も繰り返し流されていた。
あれから40年が経ったという驚くべき事実。
あの日に生まれた高橋一生が40歳であるという驚き。
この年の冬至は12月22日で,アメリカにいる女の子からクリスマスカードが届いて大喜びしたのだけれど,その日の居魔阿仁にも「Starting Over」が流れていたはず。