BUNGAKU@モダン日本_archives(旧・Yahoo!ブログ)

2005年2月18日〜2019年12月15日まで存在したYahoo!ブログのデータを移行しました。

2011-01-01から1年間の記事一覧

ギボン・リハビリテーション・センターで見たもの―プーケット訪問記2

見世物にされた赤ちゃん猿 スマトラ沖大地震によるインド洋津波で多くの犠牲者を出してからちょうど7年目のカマラビーチは,「久遠の凪を」と記された慰霊碑の願いにこたえるかのように美しく静かでした。 そして,津波がやってきた水平線と対峙するかのよ…

インド洋津波から7年―プーケット訪問記1

スマトラ沖地震から7年のプーケット訪問 スマトラ沖地震による津波災害から7年目にあたる2011年12月26日を含む4泊5日の日程で,タイのプーケット島に行ってきました。 実質的には中3日の滞在でしたが,神奈川県内の学校に通う34人の中高生とともに津…

震災の年の瀬に

震災の年の瀬に 今の世のわかい人々 われにな問ひそ今の世と また来る時代の芸術を われは昭和の子ならずや 東京五輪に大阪万博 高度経済成長と バブルの喧噪儚く消えて その文化歴史となりて葬られし時 わが青春の夢もまた消えにけり 美奈子しおれてスーち…

恐怖の大王と母胎回帰―『神の子どもたちはみな踊る』(6)

恐怖の大王が降ってくる 村上春樹の連作短編小説『神の子どもたちはみな踊る』について考えるときに作中人物たちが生きている1995年2月という時間が重要であるのは改めて言うまでもないことですが,同時にこれらの連作が書き継がれて発表された1999…

村上春樹の壁と卵―〈オウム以後〉を考えるために(3)

三、沈黙しないという選択 「壁」という比喩は、村上春樹が書いたいくつかの小説を想起させる。たとえば「街と、その不確かな壁」(一九八○年九月『文学界』)として発表された短編小説をもとに「純文学特別書き下ろし作品」として刊行された『世界の終りと…

村上春樹の壁と卵―〈オウム以後〉を考えるために(2)

二、壁と卵をめぐって 二○○九年二月、「壁と卵」というメタファーを使った、村上春樹のエルサレム賞の受賞スピーチがメディアをにぎわせた。イスラエルの人びとを前にこなれた英語でスピーチをする様子は、素顔を見せることがほとんどなかった村上春樹の肉声…

村上春樹の壁と卵―〈オウム以後〉を考えるために(1)

一、〈オウム以後〉という問題 『風の歌を聴け』(一九七九年六月『群像』)以来の村上春樹の歩みは、『ねじまき鳥クロニクル』を分岐点として大きく二つの時期に分けて考えられることが多い(注1)。その際にキーワードとしてしばしば取り沙汰されるのは、…

44万ヒット記念―増補改訂『NONAJUN短詩型文学全集』(編集中)

44万ヒット記念! まもなく44万ヒット達成です。 いつも来て頂いている皆さん,ときどき来て頂いている皆さん, 以前来て頂いていた皆さん,偶然立ち寄った皆さん…, どうもありがとうございます! 少し早いのですが,記念記事として駄句・拙歌をご披露…

カタストロフの続き―『神の子どもたちはみな踊る』(5)

釧路・秋葉原・小伝馬町 連作短編集『神の子どもたちはみな踊る』に収められた6つの短編小説のうち,3つまでが東京を舞台としていて,阪神・淡路大震災の後の1995年2月という時空を舞台としていると考えれば,読者としては作中人物がこの後に地下鉄サ…

震災とテロのはざまで―『神の子どもたちはみな踊る』(4)

2つのカタストロフのあいだで 『神の子どもたちはみな踊る』に収められた小説が,「震災の後で」と名づけられた連作短編集でありながら,阪神・淡路大震災から遠く隔たった場所を舞台としているのは,生まれ育った神戸と生活の拠点としていた東京で続けざま…

ふたたびロンブー淳の語り口について―震災記(12)

ロンブー淳と釜石 東日本大震災が起こってまもなく,ロンブー淳がツイッターで被災地のための支援物資集めを呼びかけました。 ロンブー淳のつぶやきをフォローしていた多くの人びとが賛同し,東京だけでカイロ約2万個,乾電池約1万個,懐中電灯約300個…

ぼんやりとした後ろめたさ―『神の子どもたちはみな踊る』(3)

喪失感が隠蔽するもの 村上春樹の小説の魅力は,しばしば“喪失感”という言葉で語られてきました。 『風の歌を聴け』,『1973年のピンボール』,『羊をめぐる冒険』をはじめ,『ノルウェイの森』や『ねじまき鳥クロニクル』,『海辺のカフカ』といった小…

テレヴァイズド・カタストロフ―『神の子どもたちはみな踊る』(2)

テレビの功罪,ツイッターの功罪 「テレヴァイズド・カタストロフ」というのは,精神科医の中井久夫さんの言葉です。 テレビで国民が戦闘場面をみる戦争を「テレヴァイズド・ウォーtelevised war」というのは、『タイム』で知っていた。ベトナム戦争はアメリ…

被災地外のカタストロフ―『神の子どもたちはみな踊る』(1)

被災地外の「ただの人」 村上春樹の『神の子どもたちはみな踊る』は,「震災のあとで」と題されて雑誌『新潮』に連載され,のちに単行本にまとめられた連作短編集です。 『村上春樹イエローページ』の加藤典洋によれば,「この世ならぬ出来事 VS ただの人」…

田山花袋の『東京震災記』再読―震災記(11)

悲劇のなかの礼節 東日本大震災の惨状が世界に伝えられていた3月から4月にかけて,被災者の忍耐強さと冷静さが驚きをもって報じられていました。 たとえば震災直後に現地入りしたCNNのアンダーソン・クーパーは,「想像を絶する大災害に見舞われながら…

芥川龍之介の死と関東大震災―9月1日に寄せて

昭和文学史の起源 昭和文学史というものが盛んに議論された時代がありました。 そして昭和文学史がいつから始まったのかということに関しては,大ざっぱに言って2つの考え方がありました。 そのうちの1つは1923年(大正12)の関東大震災および翌19…

カトリックな地鎮祭―嘘みたいな本当の話?

カトリック学校の教員として働き始めたばかりの頃、新校舎建築のための地鎮祭に参列した。 整地された土地にテントを張り、来賓とともにパイプイスに着席して待っていると、笹と標縄と盛り土が準備されていて神主さんが入場してきた。榊を振ってお祓いをする…

告示された標準字体―当用漢字表の呪縛(3)

常用漢字表と,当用漢字表と… 漢字書き取りの採点がこれほどまでに理不尽なものになってしまったのは,いったいどうしてなのでしょうか。 私たちの中に刷り込まれている“正しい字体”幻想は,いったい何に由来するものなのでしょうか。 そういう問題を考える…

横光利一Tシャツ

横光利一文学会 第10回大会 震災のために延期となっていた大会が,明日27日(土)午前10時から二松学舎大学で開催されます。 午前中が「第一部 研究発表」,午後は「第2部 横光利一研究の現在と課題」という具合で,夕方からの懇親会を含めてまるまる一日…

刷り込まれた“正しい字体”―当用漢字表の呪縛(2)

活字体と筆写体 傑作ビデオ「漢字テストのふしぎ」を見て下さった方にはわかって頂けるはずですが,とにかく学校の先生方の漢字テストの採点基準は,あまりにもバラバラで,あまりにも理不尽です。 いったいどうしてこういうことになってしまっているのでし…

漢字テストのふしぎ―当用漢字表の呪縛(1)

理不尽な漢字テスト 中学2年生の時に教わった国語の先生が,漢字テストの採点基準についてきわめて厳しい人で,それまで一度もチェックされたことのない漢字の微妙な字形の違いをあげつらわれ,たくさんの×をもらったことがあります。 1学期の中間テスト前…

カボチャ軍団の侵略

片づけ上手は日々の生活の中で持続的に身辺の整理整頓と清掃を進めていくものらしいのですが,そういうことが苦手な我が家では,エントロピーの増大則よろしく,気がつくとトンデモナイことになってしまっています。 そこで,時間に少し余裕ができると,一気…

瓢箪池の記憶―“震災後文学”としての「浅草紅団」(3)

瓢箪池の悲劇 「浅草紅団」の冒頭近くに,鯉に与えられた麩を食べるという奇矯なふるまいをする男が描かれています。 これはたんに,非日常的でシュールな出来事が描かれているということだけで済む話ではありません。 1929(昭和4)年に連載が始まり,「大…

鯉の上前をはねる男―“震災後文学”としての「浅草紅団」(2)

『浅草紅団』の断層 川端康成の「浅草紅団」を読み直すことになったきっかけは,昭和文学会2011春季大会で行われたシンポジウムでの田口律男さんの発表です。 事前に公表された報告要旨で田口律男さんはこんな風に書いています。 浅草紅団』には関東大震災と…

コンクリートへの偏愛―“震災後文学”としての「浅草紅団」(1)

モダニズム文学の傑作「浅草紅団」 1930年ごろに生まれた新しい芸術思潮を,モダニズム(近代主義)という言い方で表現することがあります。 新感覚派の有力メンバーとして1920年代に本格的な文学活動を開始した川端康成の小説にも,モダニズム文学という枠…

40万ヒット記念―自己ベスト!?

2011年6月30日(木)午後11時ごろのことです。 おかげさまで,ついに我が「BUNGAKU@モダン日本」が40万ヒットを達成しました! 芥川龍之介の「羅生門」か,川端康成の「浅草紅団」についての記事を書こうと思っていたのですが,とりあえず記念記事をアッ…

被災地を見るということ―震災記(10)

ボランティア活動の意味 40名の高校生を連れて,6月5日から8日まで,3泊4日の日程で岩手県に行って来ました。 バスで現地に入ったので初日と最終日は移動日で,実際に活動をできたのは2日間だけです。 そのうちの1日は,かつて女優の和泉雅子さんが…

JR宮古駅前の鯉のぼり

昨日から仕事で岩手県に来ています。 全国各地から集まった働くクルマが,とにかくたくさん走っています。 すれ違う車のすべてが,被災地の復興のために働くクルマです。 山あいの集落を通るときには,田植えを終えたばかりの棚田を見ることができました。 …

『現代文学史研究』第16集(終刊号)が完成しました!

2003年の春に現代文学史研究所を設立して以来,安藤聡さんや山根正博さんに助けられながらパソコンを使った編集実務を担当し,8年にわたって年に2冊ずつ機関誌『現代文学史研究』を発行し続けてきました。 ところが,恩師・大久保典夫先生(東京学芸大学教…

「美男子と煙草」論―太宰治と生き残りの罪障感(序章)

6月1日に発行を予定している雑誌『現代文学史研究』第16集の編集作業をしています。 締め切りが3月末だったために,大震災の影響もあって,なかなか原稿が集まらず,苦労を重ねましたが,ようやく編集作業も最終段階に入り,ほっと一息ついているところで…