BUNGAKU@モダン日本_archives(旧・Yahoo!ブログ)

2005年2月18日〜2019年12月15日まで存在したYahoo!ブログのデータを移行しました。

【開催しました!】国語教育とチャットAI 〜 Chat GPTを試してみたら[ワイガヤ編]

左下:野中潤/右上:田中善将先生

Google for Education 認定イノベーター(JPN19)の仲間であるChat GT こと田中善将先生をお招きして、生成系AIのカンブリア大爆発という現実について考える会を開催しました。(2023年2月8日21:30〜23:10ごろ)
Facebookグループの「ICTで国語授業を変える教育者グループ」とGEG Fuji の共催です。国語科の先生でも…というか、国語科の先生だからこそ、看過できない出来事が今まさに起きているということを痛感する時間となりました。 

ジョン・レノン忌に〜40年前の居魔阿仁に飛び込んできた訃報〜

1980年12月9日は火曜日で,浪人生だったわれわれは共通一次試験を間近に控えているにもかかわらず,いつものように藤沢駅北口の喫茶店「居魔阿仁」に吹き溜まっていた。

 

湘南高校55回生540人の中でも指折りの怠け者だった当時の私は,もはや代々木ゼミナール大船校で授業を受けることすらなく,居魔阿仁で時間をつぶす日々を送っていた。

 

店名からもわかるように,店主はジョン・レノンの大ファンで,阿久津さんがジョン・レノンが死んだ」という口にしてから店の空気はどんよりと沈み始めた。

 

ジョン・レノンの命日は12月8日だけれど,日本人がジョン・レノンの訃報に接したのは12月9日のことで,それはまさに今日のことなのだ。

 

当時,われらが居魔阿仁のでっかいステレオセットは,1年前の1979年12月5日に発売された浜田省吾君が人生の時…』と,4年前の1976年12月8日に発売されたイーグルスホテル・カリフォルニアを交互に流し続けるのが基本だったのだが,このころはそれに『ダブル・ファンタジー』が加わっていた。

 

阿久津さんがジョン・レノンが死んだ」という悪いニュースを知らせた後は、浜田省吾イーグルスも出る幕がなくなった。

ひたすら『ダブル・ファンタジー』が流れた1980年12月の居魔阿仁。

特にA面1曲めのStarting Over」は,この曲だけは特別だという感じで,何度も何度も繰り返し流されていた。

 

あれから40年が経ったという驚くべき事実。

あの日に生まれた高橋一生が40歳であるという驚き。

 

この年の冬至は12月22日で,アメリカにいる女の子からクリスマスカードが届いて大喜びしたのだけれど,その日の居魔阿仁にもStarting Over」が流れていたはず。

 

(Just Like) Starting Over

(Just Like) Starting Over

  • provided courtesy of iTunes

 

絲山秋子「ベル・エポック」を読み返す

Yahoo!ブログに書き連ねた駄文をまとめた論文電子ブックとして公開しましたが,その後もときおり読み返しています。

 

そして性懲りもなくディテールをほじくり返しては一読三歎,五読で十五歎・・・

 

そのいったん。

 

自分の大学時代(昭和の終わり)の感覚で,「方言をしゃべるみちかちゃん/標準語をしゃべるみちかちゃん」という対比を「素顔/仮面」というような対比に重ねて理解しようとしていました。

地方から上京してきた友人の一人が,東京のことばに対するコンプレックスのようなものについて語ったり,東京のことばで語り続けなければならないことに対するしんどさについてこぼしたりしていたのを記憶しています。

 

そういうものが崩れたのは,全国ネットの放送を聞いて育った世代が大人になり,世代交代が進み,方言がマイルド化すると同時にテレビ的な全国共通の言語運用が広く浸透したためではないかと考えていました。

 

1990年代の終わりにアラサーにさしかかったと思われるみちかちゃんの世代にも,そのような理解を適用することはできそうです。

 

だとすれば,みちかちゃんにとっては,三重の方言を使う自分も,東京の言葉を使う自分も,どちらも「ほんとう」なんでしょうね。

 

家族と過ごす時,小学校時代の友人たちと過ごす時,大学の同級生と過ごす時,バイト先で仲間と過ごす時,ツイ廃としてネットを跋扈するときなど,そのつどキャラを使い分けるような生き方を身に着けている今どきの若者にとっては,「キャラ化する/される」みたいなことは当たり前です。

 

いくつものキャラを使い分けて生きている人からすれば,「三重の方言を使う自分」と「東京の言葉を使う自分」の使い分けぐらいは造作もないことです。


そしてポイントはむしろ,「私」(典ちゃん)の側からの見え方かもしれません。

 

東京で出会って東京のことばで仲良くなったみちかちゃん。

 

彼女の発話する「できやんやんかあ」という方言を聞いた時,自分の知らないみちかちゃんの地金の部分を初めて見たような気持ちになったのではないか,という読みは成立しそうな気がします。

 

方言の世界の「もうひとりのみちかちゃん」を意識した時に「私」が感じる距離感。

 

「新しい暮らしの最初の段ボール箱」によって引き起こされる切ない別離への序章として散りばめられたさりげない布石のひとつとしての,「できやんやんかあ」です。

 

つづく・・・かも

平成最後の日に(もう令和)

引退と退位

平成8年9月に伊達公子選手が引退を発表したとき,ファンだった私は,ほとんど「メロスは激怒した」状態でした。

理由が結婚などの私生活に関することではなく,テニスプレーヤーとして「そろそろそういう時期だ」というような口ぶりでの引退表明だったことや,そもそも25歳という年齢での引退ということに「欺瞞」というか「錯誤」というか,あるいは裏切りとか嘘とかゴマカシとかという類いの不誠実な精神のニオイを感じたからです。

「きっといずれ引退を撤回するに違いない」と感じた私は,「休養」ということにしておけばいいのにどうして「引退」などという言葉を口にするのだろうといぶかしく思っていました。(もしかすると大人の事情のようなものがあったのかもしれませんが,ファンとしては理解し難いことでした。)

案の定,12年後に伊達公子選手は復活したわけで,「だから言ったこっちゃない」「今さら復帰してどーすんの?」と思ったものです。

ファンとしてはよくないことかもしれませんが,「可愛さあまって憎さ百倍」というか,復活後にメディアに取り上げられている伊達公子選手を見るにたびに「メロスは激怒した」ものでした。

思えば,昭和53年に「普通の女の子に戻りたい!」と叫んで引退しながら数年の間に相次いで芸能界に復帰したキャンディーズや,昭和59年に36歳で「普通のおばさんになりたい!」と言って歌手を引退しておきながら平成2年に完全復帰を果たした都はるみなど,数々の引退詐欺がトラウマになっているのかもしれません。

あんなに引退を惜しんで悲しんだのに,いったいなんなんだ?というような…。

ですから,安室奈美恵の引退も私は信用していません。

もちろん森昌子の引退も(自己承認欲求に基づく引退宣言シンドローム???)。

いや,イチローの引退ですら100%信じてはいません。

ステージに送られる拍手喝采や球場を満たす歓声にふたたび包まれることが可能だと思えば,彼らはきっと復活し復帰するに違いないと思うんです。

ですから,原節子山口百恵はえらいなぁ〜と思うわけです。

僕の大好きなシンシア,南沙織も!



退位というのは不可逆なプロセスです。

再結成も復活もあり得ません。

今上天皇は私の父と同世代。


恐れ多いことですが,終わり方として見事だなぁと感じ入るばかりです。


さようなら,平成。。。

こんにちは,令和!

青空文庫のなかの「令和」(あと27日)

まだ誰も指摘していない「令和」の出典

新しい元号「令和」の出典は「万葉集」だとされていますが,じつは中国の詩文集「文選」にまでさかのぼることができるという指摘があります。

テクストは引用の織物であるわけで,私がここに書いている文章もこれまでに書かれたさまざまな文章をサンプリングして成り立っていると考えることができるわけで,「文選」だってきっとさらにその前に誰かが歌ったかしゃべったかした言葉をつまみ食いして作られているに違いないのです。

だとすれば,出典が何であるのかを時間的な前後関係で決めるのはナンセンスで,これだと思えばこれになるわけです。

もともと地上に出典はない。そう思う人が多くなれば,それは出典になるのだ。(炉尽)

泉鏡太郎の「火の用心の事」


青空文庫を「令」「和」で検索してみました。

すると,泉鏡太郎=泉鏡花の「火の用心の事」がヒットしました。

大正最後の年,1926年に書かれたものです。

まぐろの中脂を、おろしで和へて、醤油したぢを注いで、令夫人のお給仕つきの御飯へのつけて、熱い茶を打つかけて、さくさくさくさく、おかはり、と・・・

私が見つけました(^O^)

Yahoo!ブログ的には,これこそが「令和」の出典です!


ヌルい音楽/ヌルい文学(あと78日)

これがアメリカ/油断すんじゃねえ/俺の生き様を見ろよ

今朝のニュースは,ヒロ・ムライさんがグラミー賞の最優秀MV部門に輝いたというニュースで盛り上がっていました。

アメリカの銃社会に痛烈に風刺したチャイルディッシュ・ガンビーノのMVを作ったのが「日本人」であり,翼をくださいを作曲した村井邦彦さんの息子だということで,ニュースバリューがあると判断されたようです。

関連してさまざまな情報が飛び交いましたが,手放しで喜んでいる場合じゃないということに,昨年の5月に書かれた記事が気づかせてくれました。

2018年5月9日に後藤正文が自身のブログ「GOTCH」に書いた記事です。

さわりを引用します。

 こうしたビデオや楽曲を「スゲー!」だなんて言って消費したり、アメリカ社会と音楽との有り様や彼らの意図を考える前に、俺は率直に悔しい。日本のトップクリエイター(そんなの居るのか?)がマスと向き合う現場で何を作っているのかと言えば、たったひとつ、コマーシャルだろう。販促物だ。

 それでいいのかよ?っていう言葉を、「私は当事者だ」と思う人すべてに投げかけたい。私は違うって言うならば用はない。すぐにコマンドとWを押して業務やら表現やらに戻ってほしい。とりあえず俺は自分の土手腹に向かって、その言葉を3万回くらい投げ込みたい。

 自分のヌルさに反吐が出る。

音楽だけじゃない。

文学もヌルいですよね。

もちろん,このブログもヌルい。。。



青春とポエム―昭和は遠くなりにけり(あと80日)

「ポエム」というジャンル

中学生や高校生がノートに「ポエム」を書くという習慣,いまでもあるのでしょうか?

昭和時代の「ポエム」とは,たとえばこんな感じ(中二の頃に書いたポエムが出てきた)です。

「ポエム」と言えば女子の専売特許だと思ってしまいがちですが,男子もけっこう書いてました。

「歌詞」にするつもりで書いている人もいましたが,シンガーソングライターになるつもりなどさらさらなく,とにかくノートにポエムを書くことで青春期の感情の何かをなだめすかしていたのだと思われます。

イマドキの中高生は,ノートにポエムを書きつける代わりに,インスタに写真をあげたり,

TikTok

に動画をあげたりするんでしょうか?

しかし考えてみると,「ポエム」というのは特殊なジャンルです。

島崎藤村「初恋」とか萩原朔太郎「竹」とか中原中也「サーカス」とか,和歌でも漢詩でもなく,ましてや歌詞でもないものとして成立し流布した「近代詩」というジャンルがすでに特殊なものであるのに,そのパスティーシュのようなものを夢中になってノートに書きつける情念は,いったい何に由来するものなのでしょうか。

「文学」という病に罹患した近代日本人の心性を読み解く上での重要な鍵が,昭和時代の中高生の「ポエム」にはある気がします。

もちろん私も,多かれ少なかれそういう病に罹患しているわけですが・・・

近代は「青年の時代」です。

この記事を書く直前に「転載」した代物は,そんな青春期を過ごした昭和の子がいい親父になってから書いてみたいくつかの「ポエム」のうちの1つです。