岸田秀の「アメリカを精神分析する」―アメリカと文学をめぐる断章(その5)
性格神経症は虐待をやめられない
ところで,そもそもアメリカという国はいったいどういう国なのでしょうか。およそ30年前に書かれた恐るべきアメリカ論をあらためて読み返してみました。
岸田秀の「アメリカを精神分析する」(『現代思想』1977年11月)です。
精神分析学者の岸田秀は,自身のアメリカ論を「性格神経症」の説明から書き始めています。
岸田秀によると,「性格神経症」とは,自らの経験を自らに都合のいいように偽ることによって発症すると言います。自らの経験を自らに都合のいいように偽ることで,同じような経験が強迫的に反復されるというのです。
岸田秀によると,「性格神経症」とは,自らの経験を自らに都合のいいように偽ることによって発症すると言います。自らの経験を自らに都合のいいように偽ることで,同じような経験が強迫的に反復されるというのです。
たとえば,幼いときに弟をいじめ,虐待した人物がいたとしましょう。そして,当人はその経験を,あくまで「弟のためにしたことであった」と正当化したとします。
このような人は,大学の運動部に入って上級生になったり,会社に入って上司になったりすると,下級生や部下を強迫的に虐待するようになるといいます。しかも当人は,その虐待を虐待とは思わず,あくまで下級生や部下を鍛えてやっているのだという理屈で正当化し続けるのです。
このような人が,下級生や部下にやさしく接することができないのは,もしやさしく接してしまえば,なぜかつて弟にやさしく接することができなかったのか,という苦しい疑問にぶつかるからです。もしも下級生や部下にやさしく接してしまい,そのことで良き上級生,良き上司になってしまえば,弟に対する過去の仕打ちを正当化する根拠を失ってしまうからです。
つまり,いったん過去の行為を正当化してしまうと,弱い立場の者に厳しく接するという自分の行為(=虐待)を正当化し続けるためには,同じような行為(=虐待)を続けるしかなくなってしまうのです。
このような考え方に立てば,可愛い盛りの子どもが命を落とすまで虐待を続けてしまう親も,あるいは性格神経症であるということになるのかもしれません。
ここでいう「経験」とは,メイフラワー号に乗って新大陸にやってきたピルグリム・ファーザーズが,「インディアン」を虐殺した事件を指しています。
岸田秀は,こんな風に書いています。
メキシコからテキサスを奪ったのも,ハワイをアメリカ領にしたのも,ベトナムと戦争をしたのも,インディアンを虐殺して「自由と民主主義の国」を築き上げた経験の正当性を守り続けるための,強迫的な反復だというのです。
念のために確認しておきますが,このエッセイは30年ほど前に書かれたものです。
岸田秀によれば,「性格神経症」は自分に都合のいいように経験を合理化するわけですが,「精神分裂病(統合失調症)」は他者に都合のいいように経験を合理化すると言います。
つまり,「精神分裂病(統合失調症)」の日本にとって,「性格神経症」のアメリカは,相性ピッタリのパートナーであるということになります。
つまり,「精神分裂病(統合失調症)」の日本にとって,「性格神経症」のアメリカは,相性ピッタリのパートナーであるということになります。
つまり,最初にベムラーという怪獣をやっつけてしまった経験を,「地球を守るため」ということで正当化してしまったために,ウルトラマンは果てしなく怪獣や宇宙人と戦い続けるしかなくなってしまったというわけです。
そういえば,第35話「怪獣墓場」でシーボーズと戦うウルトラマンは,怪獣や宇宙人と戦い続けることの正当性に疑問を感じていました。そんなウルトラマンの姿には,「地球を守るため」という“大義”が,じつは宇宙怪獣ベムラーを虐殺した事実を正当化するための欺瞞である可能性が示されているのかもしれません。。。
う~む,岸田理論,恐るべし!