BUNGAKU@モダン日本_archives(旧・Yahoo!ブログ)

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太宰治の「メリイクリスマス」

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イブの朝の天声人語

 今朝の『朝日新聞』の天声人語太宰治の短編小説「メリイクリスマス」のことが書いてありました。

 「メリイクリスマス」は,太宰治がある母と娘にクリスマスプレゼントとして贈った短編小説だそうです。小説の中に「シヅエ子ちゃん」として登場する女性はご健在で,新宿の「風紋」という酒場でママをしていると言います。

 60年前のクリスマス,着物の懐から「メリイクリスマス」が掲載された雑誌『中央公論』を取り出した太宰治は,ひどく真面目な顔でこう言ったそうです。

 「これは,ぼくのクリスマスプレゼント」

 天声人語に物語のあらましが紹介されていましたが,どういう話だったか,細かいことはまったく覚えていなかったので,さっそく文庫本(新潮文庫『グッド・バイ』)を取り出して再読してみました。

 ごく短くて,基本的には哀切な話なのですが,ろうそくの灯りを連想させるような,ほのかなあたたかさが読後に残る,なかなかの好短編です。


「メリイクリスマス」の緑と赤

 小説は,疎開先の津軽から1年3ヶ月ぶりに東京に戻った作家の笠井が,敗戦後もまったく変わらない「東京生活」について慨嘆する場面から始まっています。

 「久し振りの東京は、よくも無いし、悪くも無いし、この都会の性格は何も変わって居りません。(中略)馬鹿は死ななきゃ、なおらないというような感じです。もう少し、変わってくれてもよい。いや、変わるべきだとさえ思われました。」

 12月のはじめ、東京郊外の映画館から出て本屋に入り,「ある有名なユダヤ人の戯曲集」を買った笠井は,偶然にも「思い出のひと」の娘さんに出くわします。

 「12月のはじめ」というのは,リメンバー・パール・ハーバーの「12月8日」だったりするのかなとなどとも思いましたが,この場面で「おやっ」と思ったのは,娘さんの服装です。

 「笠井さん。」女のひとは呟くようにして私の名をいい、かかとをおろしてかすかなお辞儀をした。
 緑色の帽子をかぶり、帽子のひもをあごで結び、真っ赤なレンコオトを着ている。見る見るそのひとは若くなって、まるで十二、三の少女になり、私の思い出の中のある影像とぴったり重なって着た。
 「シヅエ子ちゃん。」

 緑と赤のクリスマスカラーです。鮮やかな色彩です。

 とは言え,敗戦翌年の1946(昭和21)年にこの服装はあまりに派手すぎます。

 小説の中では「思い出のひと」が笠井と同い年の38歳ということになっています。したがって,母親が18歳のときの子どもだというシヅエ子ちゃんは,20歳になっているはずです。
 いったい20歳の女性が,どうしてこんなに派手なレインコートを着ているのか,読者としてはあれこれ詮索したくなってしまいます。

 敗戦後の東京に派手な服装の女性を登場させれば,当時の読者にとってそれは,アメリカ占領軍とのつながり」を持つ女性たちを連想させたのではないでしょうか。

 つまり,いわゆる「パンパンガール」とか「オンリー」などと言われた女性たちです。

 たしかに小説の中で笠井に対してシヅエ子ちゃんは,「母方の親戚の進歩党代議士」の法律事務所に勤めていると説明されているのですが,ほんとうのところはどうなのか,読者が疑いを持つ余地がある書き方になっています。

 表面上の説明とは別に,緑の帽子と赤いレインコートから,当時の読者はシズエ子ちゃんがアメリカ将校の愛人(オンリー)なのではないかということを感じ取っていたような気がするのです。


広島の空襲

 派手な服装を描写することで,登場人物の境遇を暗示するように,直接的に描かずに暗示するような描き方は,この時代の小説にはよくあることです。
 占領軍による検閲や,占領軍に遠慮して自主的に表現を控えることを強いられた時代ですから,アメリカ兵が日本人の女性をお金で買っているということをあからさまに描くことはできなかったわけです。

 同様に,戦争のことについても,表現上の不自由がありました。

 「メリイクリスマス」のシヅエ子ちゃんに笠井は,「思い出のひと」である母親の消息をたずねます。「お母さんは? 変わりないかね。」という笠井の問いかけに,シヅエ子ちゃんは「ええ。」と答えます。笠井は,「さっそくこれから訪問しよう」と言って,シヅエ子の自宅までついて行きます。

 バラックのひどいアパートに着き,笠井は表から大声で「陣馬さん!」と呼びかけます。
 娘は棒立ちになり、顔に血の気を失い、下唇を醜くゆがめたかと思うと、いきなり泣き出した。
 母は広島の空襲で死んだというのである。死ぬる間際のうわごとの中に、笠井さんの名も出たという。
 (中略)母が死んだという事を、いいそびれて、どうしたらいいか、わからなくて、とにかくここまで案内してきたのだという。

 「広島の空襲」というのは,明らかに原爆のことを指しています。しかし「原子爆弾」とは書けないのです。

 被爆した広島の惨状を描いた原民喜の「夏の花」は,最初は「原子爆弾」というタイトルで発表されようとしていました。
 しかしアメリカ占領軍の検閲の可能性が取り沙汰されたため,タイトルを変更し,一部の字句を修正して,目立たない文芸雑誌に発表されることになりました。
 アメリカ占領下で原爆のことを書くのは,かなりの困難をともなうことだったわけです。

 ですから,パンパンガールやオンリーのことと同様に,「広島の空襲」という表現にも,敗戦後のアメリカが影を落としていると考えることができます。

 笠井の「思い出のひと」は,アメリカが落とした原爆に殺されたことになっているわけです。


ハロー、メリイ、クリスマアス。

 シヅエ子ちゃんと盛り場へ繰り出し,「思い出のひと」の分を合わせて3人分のうなぎの小串を注文し,2人でだまって酒をあおっていると,屋台の奥の紳士がくだらない冗談をいいながら騒ぎはじめます。笠井は,うんざりしながら屋台の外をとおる人の流れをぼんやりと見つめます。

 紳士は、ふいと私の視線をたどって、そうして、私と同様にしばらく屋台の外の人の流れを眺め、だしぬけに大声で、
 「ハロー、メリイ、クリスマアス。」
 と叫んだ。アメリカの兵士が歩いているのだ。
 何というわけもなく、私は紳士のその諧謔にだけは噴き出した。

 この場面にいたる笠井の心理の陰翳は,原作を読んでじっくり味わって頂くのがいちばんです。
 笠井は屋台の外を行き交う人びとに何を見ていたのでしょう? 
 そして,笠井は何を笑ったのでしょう? 

 このあと数行の描写を経て示される「東京は相変わらず。以前と少しも変わらない。」という陰翳に富んだ結びは,まったくもって見事というしかありません。


「アリエル」って何?

 ところで,笠井と本屋で出会ったシヅエ子ちゃんが探していたのは,「アリエル」という本なんです。
 いったいどういう本なのか,気になったので調べてみました。
 リトル・マーメイドのアリエルだとすれば,「太宰治と人魚姫」という与太話が出来るんじゃないかと思ったんです。

 でも,ディズニー映画でアニメ化された人魚姫の物語とは関係ないみたいです・・・たぶん。。。

 どうやら「アリエル」というのは,アンドレ・モロワの『アリエル―シエリイの生涯』(山室静訳)という本のようです。
 1935(昭和10)年に出版されている本ですから,時代的にはぴったりです。

 でも,どういう話なのか,よくわからないんです。
 いずれ調べてみようと思っていますが,ご存じの方は教えて下さい。


 「シヅエ子ちゃん」の母親は,じっさいには敗戦後に亡くなっているそうです。
 原爆に殺されたわけではありません。
 でも,かえってその事実は,太宰治があえて「広島の空襲」と書きつけたことの意味を考えさせます。

 それから,「シヅエ子ちゃん」の本名は,林聖子さんというのだそうです。
 聖夜の「聖」の字が使われているわけで,何だかできすぎたお話です。

※インターネット図書館「青空文庫」なら,太宰治「メリイクリスマス」を無料で読むことができます。それから,このブログの太宰治関係の記事は,書庫「太宰治をカタる」にあります。よろしかったらどうぞ。

Photograph by NJ