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映画『空中庭園』(小泉今日子主演)―ホテル野猿とモザイクモール

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 豊田利晃監督,小泉今日子主演の映画『空中庭園』をDVDで観ました。
 原作を読んだあとでしたが,かなり楽しめました。
 映画を観ていて気づいたことを書き留めてみます。

ディスカバリー・センター

 小説の中で重要な役割を果たしているのが,巨大ショッピングモールディスカバリー・センター」です。

 「ディスカバリー(discovery)」というのは,「発見」という意味で,coverを取り除く(dis)という意味の,discoverの名詞形です。

 ディスカバリー・センター」というショッピングモールは実在しません。ですから,「何ごともつつみかくさず」がモットーでありながら,互いに秘密を隠している京橋一家の物語である『空中庭園』の舞台としては,あまりにも見え見えのネーミングだと言えます。

 映画では,観覧車のあるショッピングモールがロケに使われています。入り口の看板が映されるショットもありましたし,行ったことがある人なら観覧車ですぐにわかりますが,横浜の港北ニュータウンにあるMOSAIC MALL(モザイクモール)」です。(上の写真)

 「ディスカバリー」ではなくて「モザイク」という名前のショッピング・モールを持ってくるあたり,豊田監督のしゃれっ気を感じます。

 つまり,ディスカバリー「モザイク」というのは,〈見せる/隠す〉という対比になるわけで,京橋家の二面性を象徴しているようにも思えるということです。

 観覧車が見える風景も,「空中庭園」というイメージにぴったりですし,ご丁寧に映画の中には,京橋家の居間のテレビにモザイクの映像が写る短いシーンもはさみ込まれていました。

「グランドアーバンメゾン」906号室

 京橋家が住むマンションは,最上部が階段状になっていて,上層階にはそれぞれルーフバルコニーがついています。

 京橋家が住んでいるのは,広いルーフバルコニーがついている906号室です。

 小説では,何号室かなんてことは書いてありませんでしたが,映画の場合は,マンションのドアの横に付いている表札が大写しになるので,何号室かがはっきりと分かります。

 映画を観ていると,この数字が明らかに作為的に決められたものであることがわかります。

 なぜかというと,マナやコウが利用するホテル野猿の部屋番号が,609号室だからです。

 つまり,グランドアーバンメゾンの「906」をひっくり返しているわけです。イメージ 2 

 ホテル野猿は,もうひとつの京橋家だったのです。あるいは,豊田監督は,ホテル野猿サイケデリックで,シュールな空間を,「何ごともつつみかくさず」という京橋家の陰画として印象づけたかったのかもしれません。

 ちなみに,写真でもかろうじておわかり頂ける通り,本物の「ホテル野猿」は3階建てですから,「609号室」はありません。入ったことはありませんから,保証はできませんが,たぶん,ありません。

 ついでに数字のことでもうひとつ。
 
 回想シーンの中で京橋家が乗る観覧車のボディーに書いてあった数字も,意味深でした。

 「定員4名」と書いてある観覧車のボディーに,「13」という不吉な数字が記されていたからです。

 ん?そう言えば,今日は13日の金曜日でした。。。

すっぴんの小泉今日子

 映画公開直前に覚醒剤を所持していて逮捕されてしまった豊田利晃の演出は,危ないぐらいの才気を感じさせるものです。

 画面が揺れたり,回転したり,クローズアップから一気にロングショットにズームアウトしたり。
 貴史(板尾創路)とミーナ(ソニン)のアブノーマルなやりとりが描かれたり,絵里子(小泉今日子)の残虐な幻想シーンが挿入されたり…。

 ちょっとやりすぎではないかと思えるほど,さまざまな映像上の仕掛けがちりばめられていました。

 ただし,平凡で幸せに見える家族の日常性のすぐ裏側に,裏切りやウソや狂気があるという小説世界を描く上では,必ずしも成功しているとは言えない気がします。
 小津安二郎のようなシンプルで計算されたカメラワークを基調にしながら,ごく限定されたショットにのみ,特殊なカメラワークを使った方がよかったのではないかと感じました。

 そんな中で,豊田演出の冴えを感じさせたのは,ラストシーンです。

 激しい雨が降るのですが,絵里子(小泉今日子)が作ったバルコニーの“空中庭園”に降り注いだのは,血のように赤い雨でした。

 バルコニーで真っ赤な雨を全身に浴び,夜空を仰いだ絵里子は,泣き叫びます。
 大きくな声で,2度,3度,4度と…。

 映画の中の小泉今日子は,CMとは違って,アップになったときの顔に,年齢相応のやつれが見えていたのですが,しっかりメイクはしていました。
 しかし,雨に打たれて泣き叫んだあと,家に戻ってきた家族が押す呼び鈴に気づき,部屋の中に入ってきた小泉今日子の顔は,すっぴんでした。(少なくとも,すっぴんに見えるメイクでした)

 その顔が,とても良かったんです。

 つき物が落ちたような,無垢で,くもりのない顔…。

 映画の中にさりげなく使われていたセリフの通り,ラストシーンで絵里子は,産道を通って,血だらけになって生まれたのでしょう。

 そして,生まれたばかりの赤ん坊のように,泣き声をあげたのだと思います。

 母・さと子(大楠道代)との電話がきっかけになっているとはいえ,やや唐突に訪れた感のある絵里子の死と再生ですが,映像としては有無を言わさぬ見事な説得力がありました。
 
 あのラストシーンを見ただけでも,DVDを借りたかいはあったんじゃないかなという感じです。

Photograph by NJ