「ノルウェイの森」の舞台(その3)―三島由紀夫とのニアミス
「ノルウェイの森」のワタナベが生活していた寮のモデルが和敬塾だとすると,近くに夏目漱石の「こころ」に出てくる雑司ヶ谷墓地があったことがわかります。Kの墓があり,漱石の墓がある雑司ヶ谷墓地です。ただしこの事実は,とりあえずは“面白い偶然”という程度のものに過ぎません。
ワタナベが大塚駅近くの緑の家を訪ねるために都電で「早稲田」から「大塚駅前」まで行く途中,「雑司ヶ谷墓地」という停車場を通っているはずだということも,“面白い偶然”に過ぎません。水仙の花を買って「小林書店」を訪れたとき,緑が「お墓の中」にいる母親の話をするという符合も,同様です。
ワタナベと直子が歩いた四ッ谷から駒込までの道筋が,先生とKが歩いた道筋と近接しているということや,自殺したキズキとKが同じイニシャルだということを加えたとしても,「ノルウェイの森」と「こころ」のつながりは,とりあえず“面白い偶然”という域を出ません。
…でも“面白い”ことは確かなんですよね。少なくとも私にとって。
和敬塾を訪れた日のことです。ワタナベと直子が歩いた四ッ谷近くの外堀沿いの土手道をたどったときに,もう1つの“面白い偶然”に気づきました。
四ッ谷から市ヶ谷方向に土手道を歩いていくと,左側が急斜面になっています。斜面の下には,中央線と総武線の線路があり,外堀があり,外堀通りがあり,高いビルが林立している現在でも,なかなか見晴らしのいい散歩道になっています。
1枚目の写真ではちょっとわからないんですが,写真の左側に見えているフェンスの外は急斜面です。木々の間からは建物のない線路と外堀と外堀通りの上の大きな空間が見えます。
並木道を進むと,2枚目の写真のように,ところどころに並木が途切れた視界の開けた場所があります。2枚目の写真では,直ぐ下を通る中央線の電車の屋根がかろうじて見えていて,交差するために高架を走る総武線の電車は比較的はっきり写っています。
ワタナベと直子が土手道を歩いたのは1968(昭和43)年のことですから,あたりの樹木の枝ぶりもぐっと控えめだったでしょうし,大きな建物も1966年竣工の雪印本社ビルが目立つ程度で今よりはずっと少なかったでしょうから,視界をさえぎるものは少なく,かなり遠くまで見通せたはずです。今は見えなくなっている場所も,はっきりと視野におさめられたはずです。
この土手道から見晴らせる空間には,いったい何が見えたのでしょうか?
この土手道の外堀通り側にあって最も目立つものと言えば,じつは陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地なのです。もちろん,旧陸軍参謀本部や陸軍士官学校があった場所であり,東京裁判が行われた場所としてもよく知られています。
そしてこの場所は,2年後の1970(昭和45)年11月25日に起きるはずの三島由紀夫事件の舞台となった場所でもあるのです。
じつは「羊をめぐる冒険」や「1973年のピンボール」などには,三島由紀夫事件が起きた1970(昭和45)年11月25日のことがこっそり描き込まれています。というよりも,「わざわざ描き込んでいます」と言った方が正確かもしれません。
「ノルウェイの森」に登場するユニークなキャラクター「突撃隊」が,三島由紀夫が結成した「楯の会」のメンバーを連想させることを考えても,村上春樹が三島由紀夫事件を意識して小説を書いていることは間違いないように思われます。ついでに付け加えれば,突撃隊が姿を消す時期が,三島由紀夫が青年たちとともに自衛隊に体験入隊して「楯の会」を結成する時期とぴったり重なるというのも,村上春樹が三島由紀夫を“意識”していた傍証です。
そんなふうに考えると,直子が「降りましょうよ」と言って「たまたま四ッ谷駅」で降りてあてどなく歩き始めたという“偶然”も,なにやら意味ありげなものに見えてきます。
キズキの死以来,「ほとんど一年ぶり」に偶然の再会を果たしたワタナベと直子が,三島由紀夫事件の舞台とニアミスを起こしていたというのは,とりあえずは“面白い偶然”という域を出ないのかもしれません。でも,“面白い”ことは確かなんですよね。少なくとも私にとって…。
※写真は四ッ谷と市ヶ谷の間の土手道です。周辺地図をご覧頂くと,自衛隊駐屯地との位置関係がわかります。2枚目の写真を撮影した場所を地図↓で示しておきます。
Yahoo!地図情報→ http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=35.41.8.796&el=139.44.7.069&la=1&fi=1&pref=%c5%ec%b5%fe&skey=%bb%cd%a5%c3%c3%ab&sc=3
Photograph by NJ
ワタナベが大塚駅近くの緑の家を訪ねるために都電で「早稲田」から「大塚駅前」まで行く途中,「雑司ヶ谷墓地」という停車場を通っているはずだということも,“面白い偶然”に過ぎません。水仙の花を買って「小林書店」を訪れたとき,緑が「お墓の中」にいる母親の話をするという符合も,同様です。
ワタナベと直子が歩いた四ッ谷から駒込までの道筋が,先生とKが歩いた道筋と近接しているということや,自殺したキズキとKが同じイニシャルだということを加えたとしても,「ノルウェイの森」と「こころ」のつながりは,とりあえず“面白い偶然”という域を出ません。
…でも“面白い”ことは確かなんですよね。少なくとも私にとって。
和敬塾を訪れた日のことです。ワタナベと直子が歩いた四ッ谷近くの外堀沿いの土手道をたどったときに,もう1つの“面白い偶然”に気づきました。
四ッ谷から市ヶ谷方向に土手道を歩いていくと,左側が急斜面になっています。斜面の下には,中央線と総武線の線路があり,外堀があり,外堀通りがあり,高いビルが林立している現在でも,なかなか見晴らしのいい散歩道になっています。
1枚目の写真ではちょっとわからないんですが,写真の左側に見えているフェンスの外は急斜面です。木々の間からは建物のない線路と外堀と外堀通りの上の大きな空間が見えます。
並木道を進むと,2枚目の写真のように,ところどころに並木が途切れた視界の開けた場所があります。2枚目の写真では,直ぐ下を通る中央線の電車の屋根がかろうじて見えていて,交差するために高架を走る総武線の電車は比較的はっきり写っています。
ワタナベと直子が土手道を歩いたのは1968(昭和43)年のことですから,あたりの樹木の枝ぶりもぐっと控えめだったでしょうし,大きな建物も1966年竣工の雪印本社ビルが目立つ程度で今よりはずっと少なかったでしょうから,視界をさえぎるものは少なく,かなり遠くまで見通せたはずです。今は見えなくなっている場所も,はっきりと視野におさめられたはずです。
この土手道から見晴らせる空間には,いったい何が見えたのでしょうか?
この土手道の外堀通り側にあって最も目立つものと言えば,じつは陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地なのです。もちろん,旧陸軍参謀本部や陸軍士官学校があった場所であり,東京裁判が行われた場所としてもよく知られています。
そしてこの場所は,2年後の1970(昭和45)年11月25日に起きるはずの三島由紀夫事件の舞台となった場所でもあるのです。
じつは「羊をめぐる冒険」や「1973年のピンボール」などには,三島由紀夫事件が起きた1970(昭和45)年11月25日のことがこっそり描き込まれています。というよりも,「わざわざ描き込んでいます」と言った方が正確かもしれません。
「ノルウェイの森」に登場するユニークなキャラクター「突撃隊」が,三島由紀夫が結成した「楯の会」のメンバーを連想させることを考えても,村上春樹が三島由紀夫事件を意識して小説を書いていることは間違いないように思われます。ついでに付け加えれば,突撃隊が姿を消す時期が,三島由紀夫が青年たちとともに自衛隊に体験入隊して「楯の会」を結成する時期とぴったり重なるというのも,村上春樹が三島由紀夫を“意識”していた傍証です。
そんなふうに考えると,直子が「降りましょうよ」と言って「たまたま四ッ谷駅」で降りてあてどなく歩き始めたという“偶然”も,なにやら意味ありげなものに見えてきます。
キズキの死以来,「ほとんど一年ぶり」に偶然の再会を果たしたワタナベと直子が,三島由紀夫事件の舞台とニアミスを起こしていたというのは,とりあえずは“面白い偶然”という域を出ないのかもしれません。でも,“面白い”ことは確かなんですよね。少なくとも私にとって…。
※写真は四ッ谷と市ヶ谷の間の土手道です。周辺地図をご覧頂くと,自衛隊駐屯地との位置関係がわかります。2枚目の写真を撮影した場所を地図↓で示しておきます。
Yahoo!地図情報→ http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=35.41.8.796&el=139.44.7.069&la=1&fi=1&pref=%c5%ec%b5%fe&skey=%bb%cd%a5%c3%c3%ab&sc=3
Photograph by NJ