嘘つきと肉屋―村上春樹の受賞スピーチをめぐって(2)
嘘つきと卵
メディア用に配布された村上春樹の「エルサレム賞」受賞スピーチの原稿に,小説家と同じように嘘をつく存在として「政治家」「車のセールスマン」「肉屋」「大工」「外交官」とともに例示されていたのは,“military men ”すなわち「兵士」でした。 ところが実際のスピーチでは,“generals”すなわち「軍幹部」という単語に変更されています。
“壁”という「システム」に対して私たちがみな多かれ少なかれ“卵”であると言った村上春樹の立場からすると,政治家も外交官も軍幹部も小説家もひとしく,“正しくないかもしれず,なおかつ弱い卵”であるはずです。
にもかかわらず,なぜ「兵士」を「軍幹部」と言いかえたのでしょうか?
「嘘をつく」という行為の主体として「兵士」を例示することを避けて「軍幹部」と言いかえた村上春樹の意識の底には,「強者=悪/弱者=善」という図式があったということなのでしょうか?
内田樹さんの指摘に反し,強者に悪を,弱者に善を配分しようとして,「兵士」という相対的な弱者に代えて「軍幹部」という相対的な強者を例示したのでしょうか。
また,スピーチが世界に配信され,多くの人に影響を与えうる村上春樹という作家は,剣よりも強いペンを持った“強者”であるとも言えます。
つまり,上手に嘘をつくことによって真実を暴き出す小説家が特別な存在であると主張している村上春樹にとって,「政治家」や「外交官」や「軍幹部」は同じように“嘘をつく強者”としてイメージされているということなのかもしれません。
もちろん「政治家」や「外交官」や「軍幹部」がつく嘘は,真実を暴き出すよりもむしろ真実を隠蔽するものであるという点で小説家がつく嘘とは異なるわけですが…。
また,彼らも“私たち”と同じように「多かれ少なかれ卵である」のだとしても…。
どうも「兵士」を「軍幹部」に言いかえたという事実の中には,論理的なねじれが見え隠れしていて,何かしら微妙な村上春樹の心理の襞が横たわっているような気がします。
それはもしかすると,“壁”(=システム)に翻弄された「兵士」を父とすることによって生じた心理の襞なのかもしれません。このあたりのことは,「村上春樹はなぜ両親について語らないのか―全共闘世代のルーツ」に書いた問題とかかわってきます。今回のスピーチの中で村上春樹が唐突とも思える形で父親のことを語り始めたのも,おそらくこうした問題によるものでしょう。
彼らは言わば“良い嘘つき”である作家(村上春樹)に対して,“悪い嘘つき”のイメージをスピーチの聴衆に喚起する存在です。
それではどうして,“悪い嘘つき”の中に「車のセールスマン」や「肉屋」や「大工」が例示されなければならなかったのでしょうか?
kohnkkさんの「IT系ですけどハルキストです・・・なにか?」のエントリーに紹介されていたので読んでみたんですが,『エルサレム・ポスト』の記事では断片的な引用をしながら解説を加えてスピーチの概要を伝えています。
英語が不得意な私には解説部分はよくわからないのですが,47NEWSで紹介されているスピーチ全文(英文)と引き比べてみると,意図的に伏せられている部分があるようです。
ひとつには,嘘をつく存在として列挙されているはずの「車のセールスマン」と「肉屋」と「大工」が削除されているのです。
Novelists aren't the only ones who tell lies - politicians do (sorry, Mr. President) - and diplomats, too. But something distinguishes the novelists from the others. …
どうして「車のセールスマン」と「肉屋」と「大工」が削除されているのでしょうか?
たぶんいちばんわかりやすいのは,「肉屋」を削除した理由です。
ですから,村上春樹が八百屋でもなく魚屋でもなく「肉屋」を選択していることには,それ相応の意味があると考えるべきです。
大統領に対するジョークは許容できても,特別なニュアンスをはらんでしまう「肉屋」という単語は許容できなかったということなのでしょう。
同じように「車のセールスマン」や「大工」にも,何かしら特別な含意があるような気がします。
「政治家」と「外交官」と「軍幹部」という単語の中に「車のセールスマン」と「肉屋」と「大工」という3つの単語を列挙することは,例示としては明らかにバランスを欠いています。
イスラエルやアラブ社会の言説に触れたことがほとんどありませんし,英語も得意ではないので,自信を持って断言はできないんですが…。