BUNGAKU@モダン日本_archives(旧・Yahoo!ブログ)

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山田双葉と山田詠美―1980年代文学論ノート(1)

一、ポルノ雑誌のなかの山田双葉

 「ベッドタイムアイズ」で作家としてデビューする前の山田詠美は、商業誌を舞台に活躍する漫画家だった。しかも本名の山田双葉という名前で発表された漫画には、『漫画エロジェニカ』(海潮社)、『漫画大快楽』(檸檬社)、『DUMP』(大亜出版)など、所謂「自販機本」と呼ばれた漫画雑誌に発表されたものが多く含まれ、当時としては珍しい「女子大生エロ漫画家」だった。明治大学の漫画研究部に所属していた山田双葉がプロの漫画家になるにあたっては、大学の先輩で既にプロの漫画家として活動中だったいしかわじゅんや『漫画エロジェニカ』の編集者だった高取英などが助力したと言われているが、「女子大生」による「エロ漫画」というものの希少性が商品価値を高め、デビューを容易にしたことは否めない。一九七九年十二月に日本テレビ系列の深夜番組11PMに出演して「輝け!栄光のイレブン大賞」を受賞したのも、「エロ漫画を描く女子大生」という話題性によるところが大きかったはずだ。「話題の女子大生作家が描く子宮感覚の性愛図!」(一九八〇年七月号の『DUMP』の目次)などという惹句とともに漫画が掲載されているところにも、編集者や読者の期待の地平がはっきりと示されている。SMクラブで女王様として働く姿を写真雑誌に取り上げられたり、黒人男性との恋愛や結婚が注目を集めたり、ヌード写真集を出版したり(注1)、スキャンダラスな話題をふりまいて人びとの耳目を集める女性作家としてのイメージは、女子大生エロ漫画家としての「山田双葉」の延長線上にあると言っていいだろう。ただし『シュガー・バー』(一九八一年十一月、けいせい出版)に収録されることになる一連の漫画を読む限り、スタイリッシュであったりコミカルであったり、絵柄もストーリーも決して劣情を刺激するようなものではない。あがた有為村祖俊一などをはじめとする三流劇画と呼ばれた当時の青少年向けのエロ漫画とはまったく異なるし、過激さを売り物とする一九九〇年代以降のレディースコミックに比べれば性描写もずっと控え目である。(注2)読者に対して挑発的だったのは、「いまここに告白する話題女流作家の私生活!」「今回は読者のご要望にお答えするべく自分のことを書きます」として発表された表題作「シュガー・バー」(『DUMP』一九八一年六月)の半ば自虐的な楽屋落ちに示されているように、「女子大生」がエロ漫画雑誌を発表の舞台としているという事実と、表象としての「山田双葉」のありようだったと言ってよいだろう。
こうした傾向をきわめて顕著に示しているのが、『雅子妃の明日』(二〇〇六年七月、文藝春秋)の著者で近年は皇室ジャーナリストとして知られる友納尚子が、風俗関係のルポライターとして活躍していた時代のインタビュー記事である。
 一九八四年四月に発行された大判のポルノ雑誌『月刊ビリー』に掲載されたインタビューは、四ページにわたる写真入りのものである。「元祖黒人ルンルンギャル?」「黒人のねばっこい体臭が好き」「翔んでるエロ劇画家は私生活も官能だらけ!」といった煽情的な見出しが躍り、ヌード写真はもちろん、SMや幼女性愛、マリファナ吸引、猟奇殺人、糞尿趣味などの写真を含む極めて過激な誌面の中に置かれていることと相俟って、そのアウトサイダーぶりが強く印象づけられる。あまりにも低俗で猟奇的な記事にあふれていて、「スーパーへんたいマガジン」とも銘打たれている『月刊ビリー』という雑誌の編集方針をインタビューの段階で山田双葉が承知していたとは到底思えないほどだ。山田詠美は、スキャンダラスな話題をふりまく女性作家として登場する以前に、過激で卑俗なエロ漫画家「山田双葉」として欲望されていたのである。
 
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注1 『藤田和宣写真集 ハートブレイク・エンジェル/山田詠美』(一九八八年七月、日本写真企画)。
注2 『ミス・ドール』(河出書房新社・一九八六年八月)に収録された「ジーザス!」や「COOL KOOL」などは、主婦の友社が発行していた少女漫画雑誌『ギャルズコミックDX』に発表されたもので、エロ漫画というカテゴリーには入らない。なお、山田双葉の漫画については、松田良一『山田詠美 愛の世界―マンガ・恋愛・吉本ばなな』(一九九九年十一月、東京書籍)が詳細に論じている。

 ※ ブログ掲載にあたっては、写真の画質を極端に落としてあります。

(つづく)


初出『近代文学合同研究会論集』第8号「高度成長の終焉と1980年代の文学」(2011.12.17)