BUNGAKU@モダン日本_archives(旧・Yahoo!ブログ)

2005年2月18日〜2019年12月15日まで存在したYahoo!ブログのデータを移行しました。

三浦哲郎の「盆土産」でなぜ最後に少年は「えんびフライ」と言ってしまったのか?(1)

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 この夏はとりわけ「死者のためのえびフライ――三浦哲郎の「盆土産」を読む」という記事へのアクセスが多く,Yahoo!ブログのアクセス解析で確かめてみると,1日100件を超える日も珍しくありませんでした。(写真は昨日のアクセス解析の画面です)

 そういう状況の中で,学校で「盆土産」を習っている中学2年生からだと思われる書き込みもあり,大学生の授業の中で新たに発見されたこともあったので,コメント欄に書き込んできたことを元に新たな与太話を書き留めておきます。

視点について

 にこにこくんからこんな質問を受けました。

 なぜ、一人称だか三人称だかわからないスタイルにしたのでしょうね。生と死が邂逅するお盆と関係しているのでしょうか?

 この質問に対する私の答えは,「①カッコいいから,②多義的であることが文学的であることだから,③一人称的な話法が書きやすいけど明確な一人称小説にしてしまうと少年が何歳になってからこの夏の出来事を回想しているのか(なぜこの夏の出来事を特別なものとして回想しているのか)という問題が生じてしまいややこしいから」というもので,「③あたりを掘り下げると,生と死の問題が出てきそうな気がします」というものでした。

 そして,この答えに対する,Noさんの「なるほど~」な横レスです。

 あいまいにかくことにより、異次元空間に主語が存在するようなイメージを持たせ続けることができるから。この世とあの世の中間に主体があるような感覚を読者に持ってもらいたいから?と思いました。いかがでしょうか??

 どこにも定位しない視点で語られる物語というのは,それだけで「モノがたり」的,言ってみれば「物の怪のかたり」的です。

 「ヒト」がかたるのではなく「モノ」がかたる盂蘭盆会の物語としての「盆土産」。。。

 ラストシーンに描かれている境界領域としての「橋」が,足場の危うい吊り橋であるというのも、あいまいな,この世とあの世の中間にあるような主体「物の怪」の語りだと考えると,「盆土産」という小説の魅力がさらに深みを増す気がします。


少年が最後につぶやいた「えんびフライ」の意味


 今夏,「盆土産」の授業をしている岩手県奥州市の中学校を訪ねる機会があったのですが,その直後に中2女子?さんからの「最後の「えんびフライ。」の意味が、よくわらないです」という質問がコメント欄に書き込まれていました。

 最後の「えんびフライ。」というのは,小学3年生の少年が口にした「えびフライ」というセリフです。

 
 バスが来ると、父親は右手でこちらの頭をわしづかみにして、
「んだら、ちゃんと留守してれな。」
と揺さぶった。それが、いつもより少し手荒くて、それで頭が混乱した。んだら、さいなら、と言うつもりで、うっかり、
「えんびフライ。」
と言ってしまった。

 この場面の「えんびフライ」という言葉から,少年のどのような気持ちが読み取れるのでしょうか。

 もちろん「正解」はありませんが,正解がない問いに向き合う力が大切だと言われている昨今,正解のない問いに向き合うことをなりわいとしている文学愛好者として,「えんびフライ。」の意味を考えてみます。


 まず確認しておかなくてはいけないのは,少年の心の中には,おそらくたくさんの「気持ち」がうずまいているだろうということです。

 その中には,少年が自覚できている気持ちもあるでしょうけれど,なにしろ小学校3年生ですから,自分の気持ちが自分でもよくつかめていないということもあるかもしれません。

 小さな子がわがままを言ってあばれることがときどきありますが,自分でも何が不満なのかよくわかっていない場合が珍しくありません。

 どういうばあいかというと,たとえば表面的には「ケーキ食べたい」と駄々をこねているだけであり,本人も「ケーキ,ケーキ,ケーキぃぃイ~!!」と連呼するわけですが,実際には「弟ばっかりじゃなくて,ぼくのこともかまってほしい」という気持ちが心の奥底にあって,その気持ちを十分に自覚できないままにわがままを言ってあばれているというような場合です。

 大人でも同じようなことはあるはずです。

 自分のメールに直ちに返信をしなかったというだけで部下を怒鳴りつける上司がいたとします。

 メールが少し遅れたからといって,業務に支障が生じるわけではありません。

 それなのに,しつこく激しく怒鳴りつけます。

 この上司は実は,メールが遅れたことについて説諭したいわけではなく,どうも自分の力量が不十分で部下が自分を上司として信頼していないのではないかという不安を感じていて,その不安を打ち消すために些細な出来事に過剰に反応して部下を怒鳴りつけているのです。

 もちろんこの上司は,そういう自分の心理を,十分に自覚していません。自分の力量不足を自覚するのが怖いので,そういう現実から目をそらすために「怒鳴る」という行動に出ているのですから。

 いや,少し話が遠回りしすぎました。

少年が言いたかったこと

 さて,このとき少年がほんとうに口にしたかったセリフは,「んだら、さいなら」であると書いてあります。

 にもかかわらず「混乱」して,思わず発してしまった言葉が「えびフライ」だったのでした。

 このときの少年の気持ちについても、たぶん「ケーキケーキ」と言ってわがままを言っている小さな子と似たところがあります。

 あばれているわけではないですから,まったく同じではないですが,自分でもなんで「えびフライ」と言ってしまったのか,よくわかっていないのです。

 そういう少年の気持ちを,可能な限り,読み手の私たちがくみとったときに何が見えてくるのか。

 考えてみたいのは,そこです。