統計不正問題とピラミッドの頂点(あと85日)
数学の教育を変えるための公式
アーサー・ベンジャミンというアメリカの数学者が,こう言っています。
現在の数学のカリキュラムは、 算数と代数を基礎とします。 その後で学習するすべてのことは、 一つの科目に向かって積み上げられていきます。 そのピラミッドの頂きにくるものが、微積分学です。 みなさんに申し上げたいのですが、 そのピラミッドの頂きは、ふさわしくありません。 正しい頂点は - すべての生徒や 高校を修了した人全てが知っているべきことはー 統計学です。 確率と統計学。
たぶん150年ほど前に確立された数学のカリキュラムが,微積分を頂点として作られていて,それを極めることが,東京大学や京都大学や慶応大学や早稲田大学などの理系の超難関校を受験するための必須条件であり,医学部に合格するためにも最も重要な学習です。
でも,いったいなぜでしょうか?
少し前まで,生物を履修しなくても医学部を受験することが可能でした。
でも,微積分は必須でした。
なぜでしょうか?
ここから与太話です。暴論です。
微積分が数学の頂点に位置づけられ,医学部受験においても最重要ポジションを維持し続けたのは,たぶん惰性です。
数学を学んで微積分という高みに達した経験を持った人たちが数学教育をにない,自分が登りつめた高みへと生徒たちを導くために難関大学の数学の解法に熟達し,そういう授業で好成績をおさめて成功体験を重ねた者たちが,さらに後進の指導をするために数学教育に邁進する・・・という構造があるのではないでしょうか。
数学者のアーサー・ベンジャミンは言っています。
みなさん、世界は既に アナログからデジタルに変わっています。 数学のカリキュラムも アナログからデジタルに変わるべき時期です。 古典的な連続体の数学から、 より最新の離散数学へと。 数学の中でも不確実性と ランダム性と情報を扱うもの、 それが確率と統計です。
超一流大学を出た人たちがあまりにも稚拙な態度で統計データを扱っていたことを考えると,アーサー・ベンジャミンが言っているように数学のカリキュラムを変えることは急務ではないかという気がします。
それを変えられないのだとしたら,また同じようなことが起こることは避けられない気がします。
文学教育を受けて文学の魅力にとりつかれ,文学研究をして文学教師になった人たちが国語科教育をにない,文学の素晴らしさを伝える授業をして一部の生徒を魅了し,そういう教育を受けた生徒が文学の魅力にとりつかれ・・・という連関とちょっと似ているのかもしれません。
でも,「アナログからデジタルに,そして古典的な連続体の文学から,より最新の離散文学へ」というスローガンが意味するのは,いったいどういう事態なのでしょうか?
アーサー・ベンジャミンは,こんなことも言っています。
数学、理学、工学、経済学を学ぶ学生が、 微積分を学ぶべきであることは間違いありません。 それも、大学の1年生を終えるまでには。 しかし、数学の教授としてあえて言うならば、 微積分を日常生活で使っている人はまれで、 実用的な応用がされることは滅多にないのです。 一方、 統計は、日々使うことができ、 また使うべき科目です。
微積分のポジションにあるのは,文学で言うと何でしょうか?
ううむ。なんか違うかも。。。
◉引用は,アーサー・ベンジャミンのTEDトーク「数学を変えるための公式」より。