BUNGAKU@モダン日本_archives(旧・Yahoo!ブログ)

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絲山秋子の「ベル・エポック」(6)―婚約指輪とカレンダー

ネタバレ注意です!


 (※いきなりここへ来てしまった方は,できればこのシリーズ最初の記事へ。)

 さて今回は,少しばかり深読み・妄想読みへと脱線していきます。

 与太話としてお楽しみ下さい。

右手薬指の婚約指輪

 冒頭,「私」は東武野田線の七里駅に降り立ちます。
 改札を出てみちかちゃんを探すと、切符売り場の横にふっくらした身体を所在なげに寄り添わせていたが、やがて私に気がついて照れ臭そうに手をあげた。誠さんから貰った指輪をしていた。
 ここで問題です。

 みちかちゃんがあげた手は,右手でしょうか? 左手でしょうか?


    *     *     *


 みちかちゃんと誠さんは婚約していたわけですから,指輪をするなら左手の薬指であるはずです。

 普通そう思います。

 ところが,直後にこんな描写があります。
「ごめんね、あれ以来になっちゃって」と言ってから、言わなければよかったかなと思ったが、みちかちゃんは気にする風もなく左手に提げた洋菓子屋の袋をちょっと持ち上げるようにして、
「これ、あとで一緒に食べようね」と言った。
 左手にババロアの入った洋菓子屋の袋を提げているわけですから,みちかちゃんがあげた手は右手であると考えなくてはなりません。

 ということは,婚約指輪を右手の薬指にしていたことになります。

 これはいったいどういうわけでしょうか?


    *     *     *


 ちょっと調べてみたら,次のようなことがわかりました。

 薬指は英語で言うと“ring finger”です。

 「聖なる誓い」という意味があるとも言われ,「願いをかなえてくれる指」であるとも考えられています。

 だからこそ,薬指にリングをはめるという行為が意味を持つのです。

 そして日本では婚約指輪も結婚指輪も左手の薬指にする人が圧倒的に多いのですが,一部には婚約指輪は右手にして結婚指輪を左手にするという人たちもいるらしいのです。

 ですから,ちょっと不自然に感じる読者もいるかもしれませんが,みちかちゃんが指輪を右手にしていること自体は,あり得ないことではないわけです。

 ただ,ここで考えてみたいのは,みちかちゃんがあえて右手に指輪をつけていたという可能性です。

 もらった当初は左手にしていた婚約指輪を,誠さんの死後,右手にするようになったのではないかという仮説(妄想読み)です。

 誠さんが亡くなってしまった以上,「婚約指輪」の意味は消失しました。

 左手に婚約指輪をし続けても,誠さんと約束した結婚を成就させる日は永遠に訪れません。

 したがって婚約指輪をはめ続ける意味はないのですが,かと言って指輪をはずすこともできません。

 そこでみちかちゃんは左手の指輪をそっとはずし,そのまま右手に付けかえたのではないか。

 誠さんが亡くなった9月から年末年始を経て保育園を辞める3月までの間に,何らかの心境の変化によって指輪をつけかえた瞬間があったのではないかと想像してしまうのです。

 誠さんと結婚することはできないけれど,“婚約者”であった誠さんとのつながりは守り続けたいというみちかちゃんの心のゆらぎが,「右手の薬指に指輪をする」という行為の中に見え隠れしている気がします。

 女性の中には,男性に言い寄られないようにするためにあえて薬指に指輪をつける人もいるそうですが,もしかすると,そんな意味合いも含まれているかもしれません。

捨てられたカレンダー

 引っ越しの荷造りをしながら三重の話をする場面に,こんな描写があります。
「三重ってどんなとこなの」
「三重ってとこはないのよ」
 みちかちゃんは壁からカレンダーを外してゴミ袋に捨てた。
 三重の話をする場面は,みちかちゃんと「私」のセリフのやりとりを中心に,基本的には直接話法で描かれていて,地の文は最小限におさえられています。

 それなのに,カレンダーを捨てるということを,絲山秋子はなぜわざわざ描写しているのでしょうか。

 なぜ「私」はこの日の出来事を語るときに,みちかちゃんがカレンダーを捨てたという行為を思い起こし,言語化したのでしょうか。

 あるいは,みちかちゃんは,なぜカレンダーを捨ててしまったのでしょうか。

 実家に帰るのだとすれば,カレンダーはいらないのかもしれません。

 でも,みちかちゃんはおそらく嘘をついているわけですから,引っ越し先の自分の部屋にもカレンダーは必要なはずです。

 実家に帰るということを悟られないようにするために,あえて捨てたという考え方もできますが,実家に持ち帰ったら邪魔物になる可能性が高い冷蔵庫が運び出されることを隠そうとも誤魔化そうともしていないことを考えると,嘘がばれることを恐れての行為であるという見方をすることはできそうにありません。

 3月にもなると,新しいカレンダーはなかなか入手できないはずですから,なぜわざわざ捨てなくてはいけないのかということがどうしても理解しにくいのです。

6月の花嫁

 ひとつ考えられるのは,壁から外されてゴミ袋に捨てられたカレンダーに,誠さんとの結婚式の予定が記されていた可能性です。

 そういう予定が書き込まれているカレンダーであれば,「捨てる」という行為には,誠さんとの関係に一区切りをつけるという象徴的な意味合いを読み取ることができます。

 ところが,誠さんが亡くなったのは6ヶ月前,つまりは昨年の9月ですから,今年のカレンダーの6月のところに,誠さんとの挙式の予定が記されている可能性はありません。

 結婚して幸せになるはずだった未来との訣別,というような象徴的な意味合いを読み取ることは難しそうです。

 しかし,誠さんと結婚するはずだった年のカレンダーの存在自体が,挙式が予定されていた6月への時間の流れを意識させるものであるということは言えそうです。

 「三月のきりのいいところ」で保育園を辞めて,どこかで新しい暮らしを始めようとしている行為自体は,誠さんとの関係を“過去”のものにするという意味を持ちます。

 みちかちゃんにとって,結婚予定日の6月という“未来”は,自分の部屋に存在してはいけないものだったのではないでしょうか。

 指輪のこともカレンダーのことも,みちかちゃんの誠さんへの思い,あるいはみちかちゃんの“結婚”というものへの思いと,どこかで分かちがたく結びついています。