BUNGAKU@モダン日本_archives(旧・Yahoo!ブログ)

2005年2月18日〜2019年12月15日まで存在したYahoo!ブログのデータを移行しました。

絲山秋子の「ベル・エポック」(7)―“勝ち組”になりそこねた女?

ネタバレ注意です!


 (※いきなりここへ来てしまった方は,できればこのシリーズ最初の記事へ。)

勝ち組になりそこねた?

 このシリーズを始めてすぐに,ちょっと虚を突かれる感じのコメントに遭遇しました。
 誠さんの死による互いの立ち場の逆転、関係の変化、居心地の悪さ、頼りなげな裏切り、切ない別れ、と連鎖を起こしたのかなという気がしてきました。(リリカさん)

 「私」がSEであるということ、「みちかちゃん」が保育士であるということ、しかも私は「次々当たって砕ける片思いの話」ばっかりしてるのに、みちかちゃんは(その後亡くすとはいえ)「婚約者」がいるというところで、もうこの二人の位置関係ははっきりしてる気がします。
 ・・・SE(しかも私は東京育ち)って、男性と対等な職業なんですよ。だけど、みちかちゃんは昔で言う「保母さん」ですよね。しかも田舎の子。要するに、みちかちゃんは「昔ながらの、世間にその存在を認められた、許された女性」なんです。ところが「私」はそうじゃない。(テハヌーさん)
 テハヌーさんのコメントを受ける形でリリカさんは,「アラサー女性にとって婚約者のいる保母さんほど最強の女性はいないように思えるんじゃないか」と書き,さらには「その最強女性が婚約者を亡くして、ひとに気遣われるという意味での「弱者」になった…そういう意味での立場の逆転」とも言っています。

 確かに保育士のみちかちゃんは“勝ち組”コースにいたわけで,誠さんという婚約者の死と辞職,そして“都落ち”によって「私」と同じ場所までポジションを下げたとも言えます。

 高級車の助手席に美人を乗せて同性に見せびらかすという前時代的でオヤジ的な,あまりにもオヤジ的な“勝ち組”感覚とは異なりますが,これはもう「なるほど!」というしかないわけで,アラサー女性ならではの“勝ち負け”感覚というものがあるんですね。

 私が最初に読んだときは,保育士とSEという職業設定については,男性との接点が少ない職場であることと,英会話を習う積極的な意味がないということを想起しただけで,“勝ち負け”ということはまったく考えませんでした。

 したがって「虚を突かれる感じ」だったわけです。

 でもそういう観点から考えると,冒頭場面でのみちかちゃんは,もしかすると「私」との待ち合わせを意識して指輪をしている手を挙げたのかもしれない…というような邪推もしてみたくなってきます。

 さらに言えば,トーラスワゴンに乗り込む時のみちかちゃんにも,女性ならではの微妙な“勝ち負け”意識の残映が見え隠れしているようにも思えてきます。

最強の女性?

 保育士として婚約者を射止めたみちかちゃんは「私」よりも上位に格付けされることになるのでしょうけれど,そういうみちかちゃんですら敵わない格付け上位の女性が「ベル・エポック」という小説には描かれています。

 誠さんの母親です。

 三十四歳の突然の死は誰もが信じられなくて、お葬式の時、お母さんがいつまでも誠さんの名前を呼び続けるのも無理はなかった。みちかちゃんは一番後ろで、遠い親戚のような顔をして静かにうつむいていた。
 誠さんの葬儀の際にみちかちゃんは,あくまでも“赤の他人”として遇されています。

 婚約者の死によって「嫁入り」をすることができなくなったわけですから,みちかちゃんの将来のことを考えれば,まるで婚約自体がなかったかのように振る舞うことが,誠さんの両親の“思いやり”だったということもあるのでしょう。

 でもこれは,誠さんという死者が,みちかちゃんのものではなく,あくまでも誠さんの家族や親族のもの,とりわけお腹を痛めて産んだ母親のものであるということを示すものでもあります。

 結婚して子どもを産んだ“勝ち組”女性である母親との誠さん争奪戦において,“元・婚約者” のみちかちゃんは敗北するしかなかったわけです。

 あるいは,“元・婚約者”のみちかちゃんには,誠さんと同じ墓に入る権利がないということを指摘しておいてもよいでしょう。

 「一番後ろで、遠い親戚のような顔をして…」という描写は,そういうみちかちゃんの疎外感を見事に表しています。

 そう考えると,誠さんの墓参りのことが話題になる次の場面におけるみちかちゃんの心情にも,かなり複雑な陰翳が感じられます。

 引っ越しの荷造りをしながら出身地である三重の話をしていたら,いつの間にか誠さんの話になってしまい,みちかちゃんが目をうるませる場面です。

 三重と滋賀の県境にある湧き水が飲める秘密の場所の話をした上で,2人はこんなやりとりをしていました。
「東京にはそんな場所ないでしょ」
「五日市とか奥多摩ならわかんないけど、行ったことないし」
「ポリタン持ってきてる人もいる。あ、そうだ」
「ん?」
「今度、お墓参りに東京に来るときあそこの水、持ってこよう」
 それからみちかちゃんは急に目をうるませて、
「そんなの、いつだかわかんないけど」と言った。
 みちかちゃんは三重の実家に帰らないわけですから,誠さんの墓参りをすることはそれほど難しいことでないはずです。

 そういうみちかちゃんの「そんなの、いつだかわかんない」という言葉には,誠さんが眠っているお墓からの疎外感が影を落としていると言えるのかもしれません。